No.189 ベルリンの鴎外記念館を訪ねて

私の身近な「鴎外さん」
   


 文豪・森鴎外は明治32年(1889)から3年間、陸軍第12師団の軍医として北九州市小倉北区(当時は小倉市)で勤務しました。そのときの住居が「森鴎外旧居」として小倉北区鍛冶町に現在も残り、史跡として立派に保存管理されています。私の生家はその「旧居」のまん前です。狭い道路を隔ててわずかに3メートルしか離れていないお隣さんです。幼い頃から、旧居の庭で遊び、前の道を歩いて通学しました。「鴎外さん」は私にとって身近な存在なのです。

 9月に環境問題の視察研究で欧州3か国を歴訪した際、かねてから念願だったドイツの首都ベルリンの「森鴎外記念館」を訪れました。
 記念館は、鴎外が1887年に同地に滞在した際に下宿した家で、都心に近い場所だが、奇跡的に戦災を免れたペンションでした。幅1メートル程の狭い階段を上がった2階が記念館で、中は5,6部屋ほどあり、関連の図書、パネル、ポスターが展示されていました。10畳ほどの一室が鴎外の部屋でした。なかは  古いデスク、イス、それに一人用のベッド。壁に振り子時計。
デスクは木製でフタを開けて書き物をするタイプ。このデスクで、若い医学生が日本の医学の現状や将来について思索をめぐらせたのでしょう。脱亜入欧、和魂洋才、日本・アジア文明とヨーロッパ文明の相克と和合――。ハーバード大で医学を教えていた当時の私の思索も蘇り、感慨は絶えませんでした。
 隅の壁にベッド。これも木製で天板は古び、真中がへこんでいます。このベッドに下宿屋の娘のトルウデルが座り込んで、そのおしゃべりで鴎外を悩ませたのでしょうか。

 今回の視察研究の旅に同行した竹下亘・衆院議員とはこの記念館見学にもご一緒しました。竹下議員は島根県2区選出。言うまでもなく鴎外出生の地、石州津和野はその選挙区です。
 竹下議員も鴎外には傾倒している、とのことで、鴎外さんが身近な2人の国会議員がそろって異郷の記念館を訪れることができました。本来の視察の結果も含め、本当に実りある旅でした。

 

 

写真は、(上)「舞姫」の一節を記したパネルを見る自見代議士、(下左)鴎外が使った机と、(下右)ベッド
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