平成3年2月
30.湾岸戦争で石油備蓄放出
湾岸戦争は長期化の様相をみせていますが、多国籍軍がイラクに対して武力行使を開始した一月十七日、通産省は湾岸危機対策木部を設置しました。 本部長は中尾栄一通産大臣、私ともう一人の政務次官・中曾根弘文参議院議員、それと事務次官の三人が副本部長で、直ちに実施したのは国民生活にも大きな影響がある石油の備蓄取りくずしでした。 戦争が始まったら、国際エネルギー機関が石油緊急融通制度に基づいて、加盟している石油消費国に、備蓄中の石油から二百五十万バーレルを取りくずすよう求めていました。これに従って対策本部はわが国の責任分三十五万バーレルを取りくずし、世界各国と融通し合う態勢をつくったわけです。 わが国の備蓄は百四十二日分(民間八十八日分、国五十四日分)あります。第一次石油ショックの時は国の備蓄制度がなく第二次石油ショックでは国の備蓄が七日分しかなく、石油市場が混乱しました。そのにがい教訓が生かされ、こんどの場合は石油の値段がむしろ下がるという結果になりました。 このことから、いざという時に備え、事前に周到な計画を立てておくことがいかに大事かを思い知らされましたし、ことが起こったら世界の国々が協調して行動をともにすることがいかに大切であるかが、よくわかりました。 |