平成元年5月
11.竹下首相降板
竹下首相が四月二十五日、リクルート疑惑に端を発した政治不信、政局混迷の責任をとる形で退陣を表明されました。 外交は不得手ということでしたが、建設市場の開放、牛肉・オレンジの輸入自由化など日米経済摩擦の解消に努められました。内政では税制改革。これは高齢化社会に向かう国の財政基盤を確立するためいつかはやらねばならない政治課題でしたが、もっと国民に理解を求め、国会で論議を深めるべきでした。実施後、不合理なことや不都合なことが出て来ており、是正すベきものは早急にやるつもりです。 竹下首相とは、昨年六月のトロント・サミットで一諸でした。行きの特別機内でサミット報告を後援会機関紙に掲載する時はこうしろ、ああしろと文章の書き方まで指南していただき、さすが気配りの政治家だ、という思いを強くしました。私のメイ(島根医科大生)がたまたま竹下首相の実家(島根県)で首相のオイの家庭教師をしていることを記憶しておられ、びっくりしました。人とのつながりを大亊にする政治家という評判の通りでした。 後継者が誰になろうと、絶対条件はクリーンなこと。リクルート疑惑のようなことはご免です。そして自民党の解党も辞さない決意で政治改革をやりとげる。もちろん、私もその先頭に立ちますが、それなくして国民の信頼は取り戻せません。 |